4月1日 イタリアのテレマークの父 ジョルジオ・ダイドラ (Giorgio Daidola)

 今日は雪が時折降ったり、太陽が出てきたりと不安定なお天気。

午前中は峰の原のゲレンデでうろこスキーで4本ほど滑りました。

気温が上がるとだんだんスピードが出なくなってきます。

土曜日の根子岳のうろこのツアーでは、できれば早いうちに滑ることもしようと思っています。

いつものツアーですと、降りる頃には気温が上がってしまいそうですので。

ちなみに土曜日の天気予報(ウェザーニュース)の峰の原の最低気温はマイナス7度。

結構冷え込むのでたぶん午後までいい感じだとは思いますが、まあ、午前中も滑ったほうがいいでしょう。

ということで、まずはその峰の原で滑ったときの写真プラス1枚を載せておきます。


プラス1枚はこれ。
今日の午後、須坂の古城荘へ行ったときに
飾ってある私の写真のポスターを発見。


そしてタイトルのジョルジオ・ダイドラ Giorgio Daidola(イタリアのテレマ
ークスキーの父 今年で82歳)について書いておきます。

ダイドラについて検索するとこんな説明が出てきます。

「ジョルジョ・ダイドラ(Giorgio Daidola)は、イタリアのスキージャーナリスト、作家、冒険家であり、特にテレマークスキーの分野で知られています。彼はテレマークスキーの復興に貢献し、多くの書籍や記事を通じてその魅力を発信してきました。

また、彼は単なるスキーヤーにとどまらず、旅と冒険をテーマにした執筆活動も行い、山岳文化やアウトドアに関する深い知識を持っています。」

TelemarkTipsというグループの投稿を見ていたら、ダイドラの著書の表紙に選ばれたスキーヤーの投稿がありました。

その投稿には

「ジョルジオは長年にわたり、惜しまれつつも廃刊となった『MOUNTAIN REVIEW』誌の「スキー・ディメンション」特集号という素晴らしいスキー執筆体験をコーディネートしてきた。それは世界の雪に夢を抱かせる号だった。整備されたゲレンデの向こう側、すでに開拓されたルートの向こう側、地平線への視線を阻む尾根の向こう側、スキーをますます檻の中に閉じ込めようとする慣習の向こう側......。だからこそ、この本を読んでいただきたいのだ: この本の中に、柵を解き、新たな冒険へと脱出するための鍵が隠されているはずだ。」

とあります。

この本『MOUNTAIN REVIEW』誌の「スキー・ディメンション」特集号、私、持っています。

1992年12月号です。

『MOUNTAIN REVIEW』誌の「スキー・ディメンション」特集号
パソコンの画面はインタビュー記事。

そしてGiorgio Daidolaでネット検索してみるとインタビューの記事がありました。

日本語に翻訳して読んでみました。気になる人は検索してインタビュー記事を見つけてください。

記事を要約すると、

「ジョルジョ・ダイドラは、幼少期からスキーを始め、1971年にアルペンスキーのインストラクターとなったが、1982年にテレマークスキーと出会い、それ以来テレマークを続けている。

彼は写真や書籍を通じてテレマークを知り、その自由な滑りのスタイルに魅了された。テレマークは機械的なアルペンとは異なり、優雅で規則に縛られないスキーの形であり、スキーを単なるスポーツではなく「生き方」として捉える手段となった。彼は、現代的な高速テレマークがアルペンに近づくことを懸念し、テレマークの本質が失われることを警戒している。」

ということが書かれています。

特に印象的だったのは、ダイドラはスカルパの初のプラスチックブーツの開発に協力したのですが、そのことを否定していることです。

私たち全員がスカルパのコンサルタントとなり、革からプラスチックへの移行を手伝いました…これはおそらく間違いでした。」

その後にこんな事を述べています。

真のテレマークは、攻撃的で高速な現代のスキーとは正反対です。高速テレマーク、重いブーツ、ビンディング、スキーで行われるピステテレマークには将来性がなく、テレマークの終焉となるでしょう。なぜなら、テレマークはますますアルペンスキーに似てきているからです。

まず第一にアメリカ人が行っているように、この方向を続けることは、アルペンスキーほど効率的ではないが、登山スキーの歴史と精神に強く結びついた、異なるままでなければならないスキー方法にとって自殺行為となるだろう。」

イタリアの御年82歳のテレマークスキーの父の深い言葉でした。

最後に彼の滑っている動画がYoutubeにありましたので、載せておきます。


ではでは